2010年10月4日月曜日

期末試験 9/30

こんばんは.

9月の終わりに期末試験があり、慢性的な勉強不足が祟ってどえらいことになってしまい、元家庭教師の先生にお願いして2人とも2日間以上の徹夜で試験に臨みました。

数Ⅲに関しては1から10あるならマイナス32くらいから分からないことがあり、そのたび先生に尋ねて解くものの、説明されて理解するのがやっとで、試験に出されて解けるのだろうかという不安でいっぱいになり、どんどん先に行く先生に八つ当たりしながら勉強し、数Cは1から10あるならマイナス17くらいで多少計算が楽なことが幸いして、解けるたびに楽しくなり、順調でした.

試験は、

1日目:物理
2  :数C
3  :数Ⅲ
4  :化学Ⅱ ライティング

で、(恐ろしい)数Ⅲより数Cのほうが先となり、推薦で必要な条件として数学の評定を数Ⅲと数C合わせて7が必要なので、数Cで4か5を取り、数Ⅲで3を取る作戦でしたが、数Cは大問が大体10問あった中で2つ解けなく、また小さい計算も1つ出来なかったので、まず5は無理だろうとなり、落胆しながらも、数Ⅲで挽回ということで先生と解き解きましたが、まさに最悪の出来で、推薦枠は絶望的でした.

自身で対峙せねばならないことを他人に頼れるはずもなく、腕や背中の外側の筋肉がぼわーっとあたたかく溶けていくようで、もっと形容するなら身体中の細胞の核が生命の活動を徐々に止め出す感覚で、自業自得と解っていても不甲斐無いさが入り交ざってうまく割り切ることが出来ず、情けないというだけでは止まらない、鼻先から眉間にかけての頭部が重く、どこに視線の焦点を合わせて良いのかわからない状態で、ふらふら歩くのも感傷に浸るようていけないと思いつつ、それでも思うように力が入らず、仕方がないのでまるで何かこのあと用事があるようなふりをして外を歩き、家に帰りました.

翌日、だらだらと浮き沈みを繰り返すのはそれでも数Cの結果次第で推薦が取れるのではないかと期待するからだと思い、数Cの先生に止めを刺されにいこう決心し、数学の職員室に向かいました.

しかし、扉の前までくるとあっけなく気持ちは揺らぎ、現実を受け止められなくて成績を聞くことを止めたい気持ちでいっぱいなのに、勉強時間をを削ってここまできたんだからというなんとも打算的な考えに負け、ドアをノックすると、目の前に数Cの先生が立っていて、もう逃げられない状況でした.

数Cの先生は白髪と黒髪が6:4ほどの髪と対照的に何故か肌が焼けていて、よく物理や化学の実験室の廊下に張り出されているハイキング部の定期的な新聞の「登魂(とうこん)日記に写真で出ており、おおよそアウトドアに見えない雰囲気の人なのにと、緊張と矛盾してぼーっと眺めながら成績について聞くと、成績会議というものをしてからではないと正確な成績を生徒にはいえないことになっているそうで、ずっと言葉を濁し続け、やはり推薦枠に届かなかったからこういう反応なんだと完全にあきらめていたところ、変なタイミングで先生は数Cはあなたが一番点数が良かったと告げて、だから希望を捨てないでくださいと重ねて云い、本当にこの人は良くわからない人だと思いつつ、さっきまでとは一転してうれしくてもうすぐ挨拶を済ませて物理室に行って物理の先生にそのことを報告すると、やったー!合格だー!!と万歳してくれて、先生の気遣いにとても感謝しながら、次に元家庭教師の先生に名前を偽って電話して報告すると、ほっとしたような声となり、これで4だったら悔しいねといわれましたが、とりあえずなんらかの形で成果が出たことにもう満足だったので、枠に届かなくてもいいやと思いましたが、その後試験がすべて終わり、くたくたなのに元気いっぱいで、試験が終わったら美味しいものをご馳走してもらう約束があり、お好み焼きを食べることにしました.





定員さんに焼いてもらったお好み焼きはふわふわしてとても美味しく、
一瞬で食べきってしまい、またその一瞬に沢山の喜びが入り混じってそれを
お好み焼きを通じて共有できたことが、とてもとても嬉しかったです.



今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.

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