2019年5月10日金曜日

メンテナンス


こんばんは.

今日は明日の仕事の準備で頑張ったり頑張らなかったり.頑張らなかったりの部分を減らそうと思えば思うほど、増えていく仕組みが憎い.とはいえ、仕事に必要な機材のメンテナンスは抜かりなくできた.

IKEAで安売りしていたスタンドライトで手元を照らし、台所洗剤を水で薄めた液と、プラスティックの保護剤、傷がつきにくいタオルで機材の汚れを落として表面を保護する.

機材に付いた傷を見るたびに相手は物だけど、こころの中でごめんって何度も謝る.謝ったって傷はなくならないよって何かが言い返す.それでも保護剤をつけて磨くと、また頑張ってくれそうな頼もしさが出る.メンテナンスをやろうやろうと思っているうちは面倒で他にある簡単なことに逃げるけれど、やり出すとやめられなくなるくらい楽しい.

そこで一番最初に買った機材のヘッドホンを分解して掃除していたら、構造上鋭利な部分に圧迫されてケーブルの二箇所が切れかかっていた.こういう状態を放置すると大抵仕事に大きく影響する.おろおろしながらビニールテープや熱収縮チューブを巻いてみてもうまくいかない.とにかくこれ以上切れることがないよう鋭利な部分を爪やすりで削ることにした.

どう削るか、どこまで削るかの判断をするために、自分がケーブルだったらと考える.早速綺麗に削れない.プラスティックが毛羽立って余計悪くなった.以前の自分だったら、その出来に苛立って諦めていただろうなとしゃりしゃりしながら思う.今回は自分がケーブルだったらとずっと考えていたおかげで、こんな状態でまた元に戻されたらたまったもんじゃないとなんとか圧迫されないところまで削りきった.少し安堵しながら「ヘッドホン ケーブル 補修」で検索し、丁度良い接着剤を見つけた.Amazonで注文する.

ぴかぴかになった機材を眺めている間、
2週間だけ一緒になった先輩の言葉が何度も浮かぶ.

「この仕事は完遂することがとても難しい」
「機材がなかったら、俺たちはただの人だから」

小さなことでも、プロなら完遂せねば.機材があってこそ仕事ができるんだ.ただ拭くだけなのにその言葉のおかげで真剣になれる.御縁があって本当に良かった.

関係ないけれど弟にブログを更新したことを伝えた.驚愕されつつ、女っぽいポエムだと笑われる.

それでいいのだ.書きたいことを書くのだ.僅かにでも前進するのだ.写真はヘッドホンの鋭利な部分と、ケーブルのために削って完遂した角.なのだ.









2019年5月9日木曜日

8年


こんばんは.

 私と私の身近な人しか読むことのない日記.
8年前には想像もつかなかった現在から見える過去がもたらしたものは、 遠くぼやけて本当に存在していたのか疑わしくあり、少しも理解できない時間のように思えます. 

薔薇がとても好きだったんだ.意味不明な名前をつけて楽しそうにしている. 空想も妄想もやめられない.水族館に行けば必ず満たされると信じていた.映画が心を支えている.学校帰りふらふら寄り道ばかりして受験生とは名ばかり. できないのに、何よりも興味があったからどうにかしがみついていた数学.

 全部自分なんだと面食らっています. 

なにもかも至らないところは今も変わっていませんが、自分の知りたいこと理解したいことに一生懸命になる余裕を許せるのびやかさは今は無い.どうしてしまったんだと動揺すらしない自分が怖いです. 

とんでもなく暗い内容に笑ってしまいますが、今を全否定しないでいられるのは、黒か白か時々青?のような計り方に縛られていた当時より、幾分ましだと素直に思えるからかもしれません.

ひさしぶりにそういちに会いたいな.
仕事が終わったら探しに行こう.



2011年9月22日木曜日

「不良少女モニカ」を観て

こんばんは。

久しぶりの更新になり、緊張のような照れくさいような気持ちです。

昨日は、弟の部屋のデジタルテレビで、夜の12時あたりから観ることにしました。

この映画を観ようと思ったのも、先日「二人のヌーヴェル・ヴァーグ、ゴダールとトリュフォー」という映画を一人で観に行き、そこでゴダールの「勝手にしやがれ」やトリュフォーの「大人は判ってくれない」の俳優のカメラ目線に大きく影響した映画だといっていたからです。

少女のモニカは自由過ぎて、それからそれに溺れる恋人のハリー。過酷な労働を社会の理不尽な枷として、反抗するふたり。なにも責めることのできない世界の中で、人生を全うする。どれだけ無謀に見えても、そうとしかできない若い男女を撮った映画は、ゴダールとトリュフォーの映画に男女や世界、人生について既存の視点を変えて、モノクロに色を塗って世界を広げるような、胸を空く衝撃だったのではないかと思いました。

ただ、あの映画に関してはふたりの撮った「勝手にしやがれ」や「大人は判ってはくれない」のほうが綺麗にまとまっている気がします。音が少ないことと、ワンカットはとても静かで美しいけれど、どれも同じような時間の長さで入っているので、動きのないように見えるところがすこし退屈でした。退屈なんて大層なことを思うのは、自分に良さを受け止めるほどの感性がないのだろうと落ち込みましたが、きっとゴダールやトリュフォーの作る映画が面白過ぎることも原因だと思いました。

けれど「不良少女モニカ」でずっと忘れられないような忘れたくない場面は、モニカがボートの上で仰向けに自由気ままに寝そべり、ふたりで創り上げる不安定な自由全てを愛おしいく思い、ボートを操縦するハリーの二人を、十分なほど時間をかけて撮られたカットは映画そのもので、私の心の支えです。


最近の不安はもしそういうものが一切無くなったら、どうしたらいいのかわからないことです。


もう一回、観ればいいのかな。あははー




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





2011年2月2日水曜日

変化

昨日は久しぶりに学校の給食をクラスの友達とともに食べた.

それまでに仲の良い友達3人と恋の話で盛り上がり、ある女の子はクラスに多少曖昧な関係ではあるけれど、付き合っている男性がおり、その相手の彼は整った顔の持ち主で、給食のおかわりなどして献立を組む栄養士(おばちゃん)や女性の教頭からも好かれていた.

その程度だったらよかったけれど、そんな彼にその給食のおばちゃんが貢ぐようになったとの話で、具体的には彼は働いているので、ネクタイ、ハンカチ、時計など、彼女はその行為自体かなり憎悪していて、しかも彼がそれを身につけていることが気に入らず、ものすごい勢いで罵倒する.共感が得られないと場が収まらなさそうだったので、反論することなく、同じようなことを口にしながら彼女の自分にはない感性のようなものを見て喜んでいた.もうひとりは、その話を何度も聞いていたようで顔に少し疲労が伺え、そちらのほうが心配だったが、怒りの収まらない彼女は真新しいキャスター付きの椅子で遊び始めた.実際には図書室にはいけないがそこへ行くための橋の上で話しをしていて、その細い通路に椅子を勢い良く押し、どこまで行くかをやっていた.ふたりとも一瞬言葉に詰まり、それから一斉に笑っては彼女を眺め、いったい何が楽しいのかとかいつまでやるんだろうとか、考えては笑い、傷つかないようになにしてんのと笑って声をかけるものの、一向に止めない.彼女のそういうところに魅力を感じる.単純で可愛らしいところ.そしていろんな形になって押したり、乗ったり、椅子の下に寝っ転がって落ち着くまでに多分たっぷり10分以上はあった.やりきった彼女を見て笑っては話し、3人とも無意味な橋の上でごろごろと横たわった.

そしてひとりは遅刻して授業へ行き、そのまま残った自分と椅子で遊んでいた彼女はそこで彼女の以前付き合っていた男性のブログの話をした.話しによるとその男性は支離滅裂で気持ちの悪い男で、ある女性と別れたことと先日まで結婚をささやく永遠とか、詩のような形で愛を語っていたのに、今は別れた彼女の悪口を書き込んでいるという話しを聞いた.どうしてまだその人のブログを見ているのかについては聞かない.それからもう別の人にブログでアプローチしているその男性について、あいつはやれれば誰でも良いんだと冷たい、恨みの隠った声で言った.1・2年生の時はこんなことをいう彼女ではなく、その時の彼女と今の彼女の差にどう接していいものか行き詰まり、もう給食食べれるみたいだよと話を切り上げた.

給食室では先生を手で手招きして呼び寄せるようなとても気の強い女の子と、ふわりとした物腰のやわらかいけれど、毒舌な芸能人が好きな女の子、遅刻して授業に行った子も合流して一緒に食べた.

3年目から早い時間帯の授業を取っていて、最近はほとんど給食を食べない自分にとってこの場をいつも1・2年の時と比べてしまう.あの頃に比べ、皆顔つきがすこし暗い.引き締まったというかそれは大人になって成長した証なのかなと考えるものの、何度考えてもわからないまま、そういうものなんだとその場にいるみんなと同じようにそれを受け入れる.

変化、諸行無常の理.なんでもいいけれど、朗らかさを失うのは少し寂しい.


2011

2010年11月27日土曜日

合否発表

こんばんは.

今朝支度を済ませ、学校に行く頃には今日合否の書類の郵送が行われることを意識して、実はそれよりも早く、布団の中でぼんやり思い浮かべていました.

そして今日は数学の授業で尊敬している物理科志望の友人が出席しておらず、それだけで半分以上がっかりしました.

授業中、先生は自分の進路について心配したり案じているのではなく、ただの好奇心で追求や数学科について毎回似たような話をするので、他の生徒の時間を使うことに罪悪感を感じ、しかし先生の僅かな好意を無視するわけにもいかず、冗談を交えながら話し、それは大抵自分が馬鹿な発言をして笑わせるのですが、最初は自分と友人と先生くらいしか笑わなかったのが徐々にクラス全員で笑うようになり、自分もみんなで共有すれば罪悪感を感じずに済むと思っていたけれど最近はそれが嫌になり、先生も自分が本気で発言していると思っているようで、この道化のまま卒業するかと思うと、純粋な数学に対する喜びを抱いて黒板を見るのではなく、感情をどこかにおいてきてしまったような、哀れな老人のようで正確には老い方をしたような人となり、それは老人という形にもならない、中途半端で枯れ切った潤いを失った行き場の無いさかなのようでした.

緊張と落胆、希望を見出したり、道化を行き来しているうちに、自覚はなかったけれどきっと混乱していて、だれかそんな冗談は止して虚勢を張らなくていいと言ってくれないだろうかと願いつつ、帰りのエレベーターで先生とお別れしてまっすぐ帰る気にもなれなかったので、気分の落ち着く物理室に向かいました.

節約のためまっすぐ帰ることと、元家庭教師の先生の家に遊びに行くことで散々迷って出した答えは家に帰るだったのに、スパゲッティをご馳走すると強引で、また最初に自分が言い出したことでもあるので結論を覆し、先生の家に向かいました.

途中、電車の乗換えで新橋を通るのですが、初めて来たときはサラリーマンだらけでビルも何もかも大きく、ここがいつもニュースに出る酔っ払いのいる場所かと思うと興奮して散策したい気分に駆られましたが、幼稚な感情に浸ってる場合じゃないと、今回の新橋はあまり面白くありませんでした.

そして今日は酸味の効いたトマトが食べたかったのでミートソーススパゲッティを提案すると、牛の薄切り肉を使うというので、ひき肉が良いと言い合いになりながら普段どおり先生の意見が通って買い物は終えました.

相撲が終わってからではないと料理は作ってくれないので、一緒に前菜のお刺身を食べながら、把瑠都 対 琴欧州や白鵬 対 魁皇を見ました.

お相撲さんのぶつかり合いや組み合う姿は格好良く、奇麗だと思い、最近見るようになりましたが、組み手や決まり手や誰が誰だかわからないのでそれが判る先生を羨ましく思いました.

出来上がったスパゲッティは予想を裏切ってとても美味しく、トッピングにチーズとパセリがあったけれどなにも入れない状態で一杯食べ、お代わりもしました.
その後はのんびりソフトボールと陸上のアジア大会を見て、1600mの男子リレーで前を走る走者を抜かそうとする日本代表に歓声を上げたり、ぼーっとテレビを観賞していました.

時間も遅くなり、帰る頃には外は小雨が降ったあとのようでとても気温が低く、頬で感じる冷たい空気の心地よさに浸りながら、駅まで送ってもらい切符を買うと、切符番号占いの両端の数が揃うと好きな人と両思いとなり、真ん中の数がどれだけ両思いかパーセントで出るというもののために番号を確認すると「4114」とあって両思いだと喜ぶと、それを合否に例えてこれで合格間違いなしだねと先生が言うので、正直に不合格な気がすると答えると、落ちた時のことを考えて適当なことを言うと本当にそのとおりになっちゃうよと繰り返し強く言うので、科学的な裏づけがないことは目の前で種も仕掛けもない状態で人が中に浮いたとしても信じないといっていた人が、なんてことを言うのだろうと可笑しかったけれど、きっと好意なんだろうと思い、黙ったままお別れしました.

車内でさっきの言葉通り気持ちを合格に向けていると、その切符の番号の4は両端あることは単に両思いなだけでなく、4で合わさっているので、しあわせだ!と発見し、根拠のない期待で胸を一杯にしました.

最寄り駅に着き、軽い操状態で家に向かうと携帯が鳴り、また父親が帰りが遅いことを怒っているのかとうんざりすると受話器から声が遠くに聞こえ、何を言っているのかわからないまま、弟に代わると言われ、珍しいなと思っていると、「おねえさん、合格発表の書類届いたよ。失格だってー!」と喜んで話すので、見たの?と聞くと見たみたと答え、しかしそれなら不合格というだろうと思い、彼の適当な言葉にばれていると言うと、少しつまらなそうな声を出し、まだ開けてない、開けて良いか聞くのでそれを制止し、全速力で家に帰りました.

中々隠して弟が渡してくれなかった書類には「合格通知書在中」と書かれており、開けて合格通知書を見てやっと本当に実感しながら、いつもお世話になっている人に報告をしました.

実力の伴わない合格に父親は何も示しませんでしたが、それでも自分のこれだけは人生においてきちんと勉強しておきたいと思う唯一の数学を学べるチャンスを得たことは何にも代え難く、とても嬉しかったです.


よっしゃああー!!!!!
もっともっと頑張るぞーー!!!!★!




今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.

2010年10月17日日曜日

Forma de amor

こんにちは.

今日は色々あって夜の2時を過ぎても眠れないまま日曜日の3時に約束を控え、このまま寝てしまったら約束の時間に間に合う自信がなかったので、寝ずにその約束の人のためにサンドイッチを作ることにしました.

料理をするときの感情を伝えようと何度か書いてみたもののしっくりきませんが、包丁が固体を切り分けるときの潔さというか、これから作る料理の構想もすべて食べる相手を想って考える楽しさや、匂いも色も形も最初はそれぞれ独立して無関係だったものが美味しいものに変わるという単純な喜びについて言いたかったです.

それとサンドイッチを作る理由は材料の問題だけではなく、自分が生まれたときから面倒を見てくれていた女性と最後に行ったディズニーランドで買ったお昼ごはんのサンドイッチのボックスがとても上等で、2人で感動しながら「この容器、もってかえってまた使えばいいじゃない」とにっこり笑顔で言われたことをずっと忘れずにいて、いつかその容器を使いたいと思っていたことがとても強く、今しかないと思いました.

いつも以上に真剣で丁寧で慎重に作業をしては、一体受験生なのに何をしているんだろうとぼんやりしながらも、作る相手の喜ぶ姿を思い描いたり、ディズニーランドに行った時のもう僅かで淡い気持ちに浸ることが幸せで、つい作りすぎてしまいました.

味はツナとトマトのものと卵とレタスのサンドイッチで、両方ともマヨネーズが入っていてこってりしているので、デザートにクレープフルーツをカットしたものも別のタッパに詰めました.





サンドイッチ、喜んでくれるといいな:)


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.