2010年8月26日木曜日

競争

こんばんは.

今日は弟が自分の元家庭教師に数学を習っていて、2人でいるとき先生からやっぱり君は弟より社会性に欠けていると言われ、彼のほうが我慢強いなどとも聞き、それは自分も頑張らなくてはと思い、二人の横を横切るたびに弟の真面目な顔を見ていました.


授業が終わってから弟と先生と3人で近くのコンビにまで行き、そこからは先生と別れて頑張っていた弟にご褒美ではないけれどなにかやって良かったと思えるものをと思い、アイスを買うことにしました.


同時に夕ご飯は何か食べたかたずねると食べたとは答えるけれど、まだお腹が空いてそうだったので、以前食べて美味しかったカルボナーラのソースも買いました.


家にただ歩いて帰るのは面白くないなと思って、じゃんけんをしてチョキで勝ったら「ちよこれいと」、パーで勝ったら「ぱいなつふる」、グーで勝ったら「ぐりこ」とそれぞれの文字数分進むというゲームをすることを提案し、コンビニから出てすぐだったのでここから?と少々困惑気味な弟でしたがやることにしました.


最初は一勝二敗だったりでそう離れることはなかったけれど、パーやチョキで四連勝され、かなり遠くまで離されると暗い頼りない街灯の光では相手が何を出しているのかわからず、いまなにだしたのー?と聞きあってめげずにゲームを続けました.


ほとんど負けてばかりだったとき、弟が大股ではなく普通の歩幅で歩く気遣いに、そんなことしなくてもいいのにと切なくなりましたが、本当に大股で歩かれたらきっとお互いがほとんど見えなくなってつまらなくなるし、大人な対応ができる弟に感嘆し、そんなことをさせる自分を情けなく思いながらいい加減そのゲームはやめることにして、道の途中で家まで競争しようといい、本気で走ったものの弟が加速せず同じように走ったり、少し抜いては減速したりとまた手加減され、参ったなあと思っていると、マンションの目の前になってもう一度ここから競争しようということになり、もっと弟が幼い頃よくそこから競争して勝っていたのでこれならきちんと張り合えると思ったものの、おもいっきり負けてしまいました.


道を駆け抜ける彼の肢体は以前までの弟の認識を超えて、よりしなやかで実直な彼にまだ慣れることが出来ず、それはきっと親が大きくなったねえと言うときに似ているような、ある種の喪失感と神々しさで、一番良い兄弟関係になるにはどうすればいいのだろうと考えるとき、暫しそのことで邪魔されたり、いっぱいになります.



ちなみに最近はホットケーキを焼いてくれません.
食べると太るよ、ぷよぷよぷよとからかわれるのでこちらも頼みません:-<



さっきまで彼の成長に感動していたけれど、太ったことをからかわれたときのことを思い出したら普段の気持ちに戻りました.



身体の変化は予想以上に兄弟は敏感なので、
気をつけてくださーい!:(







今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.

2010年8月15日日曜日

誕生日

こんばんは.

最近18歳になり、誕生日というものの重みが幼い頃にくらべて軽くなったなと思いながら、想像以上に色々な人に祝ってもらい、やっとずっと焦れていた歳になったのだなと実感が湧きました.

ひさしぶりに映画を見に行ったり、Tシャツや水筒をプレゼントされたり、それらしいことをするのが楽しくて、これからなんでもできそうな、すばらしい予感がするようでした.

18三乗=5832,5+8+3+2=18

不思議な数ですね.(ウィキペディアの引用です.)






でも、精神的にはいつもこんな感じです.





この子はこのあと一体どうするのかな.

こんなに用意したのに海に入れないってどういうこと。。?!
って声が聞こえてきそうです.


うーん.
早く、ちゃんとした大人にならなきゃーー:(!!


内容の薄い記事になりましたがどうかご容赦ください.
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.

2010年8月12日木曜日

紙粘土

こんばんは.

最近本当は誰にも会いたくないという気持ちと、お金が無くて行きたい所に行けないという状態で、何故かそういう時に色々な人に誘われて、協調性や社交性に欠ける自分を誘ってくれる人はとても貴重で大切にしなくてはいけないと思いつつ、疲れた顔を見せて困らせるのは嫌だなと悩んではお断りの返事をぐずぐずしてしまい、最悪な日々です.

あと少しで誕生日なのでその日に何がしたいかをきちんと考えて、今の気分を断ち切ろうと思い面白いことないかなあと考えたところ、紙粘土で何かつくりたいなと思いました.

紙粘土を使うのはたぶん小学校のこと以来無く、忘れていた感覚を取り戻せる気がして、考えただけでわくわくしました.

しかし、幼稚園の頃、先生達が設けるものづくりの時間の今でも覚えている思い出は、親子で様々な形をした木片を重ねてアーチを作るというもので、動物の形などかわいらしいものでも、かっこよくも面白くもないと思う物をつくらなきゃいけないことと、用意された木片はどう見てももう使えそうにない悲惨さで、そんなものでも子供は喜ぶと思っている大人の思惑に落胆し、周りに同じことを考えていそうな子が一人もいなかったあの時、はじめてはっきり絶望というものを体験して、そのせいでほとんど親が作ったものとなり、それは周囲からずば抜けて意味不明な形をしていて、木と木の間からボンドがだらだらと垂れだして最悪すぎると泣き出したのを覚えています.

当時不機嫌なかわいげのない子供で、今も同じようなもので、しかしそういう風に見えなくない大人のひともたまにいるので、何がいいとかそういうことじゃないと考えることは、やっと自分を受け入れていくという本当の感覚を感じる気がします.


紙粘土を水彩絵の具で水色に染めて、魚を作ったり、カラフルな星を作ったり、じゃあ結果的に何がつくりたいのかというとはっきりせず、ペンたてもつまらないし、オブジェも弟からもらったものがあるので邪魔になるし、NHKで見た写真たてをアレンジしてもいいなと思ったけれど、頼りにしている人に相談すると反応はいまいちで、さっきまでの新鮮な気持ちは損なわれ、どうしようもなくなったので、無理に形にするのはやめて、誰にも左右されなくなるくらいつくりたくなったら、思いっきりつくろうと決めました.

でも、ひそかにうれしかった創作関係のことがひとつあるので紹介したいとおもいます.





じゃじゃーーーーーーーん★☆





私の似顔絵です.

私に意図して秘密にしていたのかはわかりませんが、父親の同級生で絵が好きで勤めていた銀行をお辞めになったという方が、小学校のときの卒業式の日の朝に撮った写真でその似顔絵を描いてくださり、はじめての体験だったのでとてもうれしく、机に飾っています.

じーっとみつめても、具象画らしく描きたかったのか抽象画らしく描きたかったのかよくわからず、微妙なあたりがわたしらしくて気に入っています.

きっと、かなり頑張って描かれたものだろうと思います.



絵を見たらちょっと、元気でたぜよー!(・Θ・)★



・・・それじゃ勉強しよ~




今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.

2010年8月1日日曜日

隅田川花火大会2010 7/31

こんばんは.

今日は東京三大花火大会のひとつに数えられる隅田川の花火大会に行ってきました.

隅田川の花火大会には高校1年のときに初めて行き、そのときは都営浅草線を使って浅草駅までぎゅうぎゅうになった電車に乗って、目の前には身長の大きい男性と、対照的な背の低い女性が庇いあうように抱き合ってひそひそと笑いあっていたという大変うらやましい光景を見せつけられながら、人の多さに圧倒され、花火は木の陰に隠れておぼろげにしか見れないという少し心残りな経験でした.

今年はアルバイトをしておらずお金が無いため、一昨年の浴衣を着ることにして電車を1度乗り継いで浅草駅ではなく、ひとつ手前の田原町駅で降りて人の波に身をゆだねながら、途中でコンビニの前に焼き鳥を売っていたので覘いてみると、真ん丸と大きなもも肉が刺さった串が一本100円ととても安かったので、すかさず5本入りのものを買い、確信は持てないけれどそれらしいところにシートを引いて座りました.

目の前を横切るカップルは甘い空気に覆われて、本当は花火なんてどうでもよく、相手のことで頭が一杯そうな人達や、胸元の開いたシフォンのワンピースを着る美人な女性を、意思とは無関係に本能というものらしい、強烈なものにのっとられて、通り過ぎる間じっと見つめる男性や、より花火の綺麗に見える場所を探して必死な人達、ビルに囲まれて一切花火の見れない場所で無言のまま座りつくす人など、色々な時間が人によって存在してそれに自分が全く影響することなく、また自分の時間が平行して流れていく感覚はまるで映画を見ているようでした.

そして花火が始まって見惚れているとき前に座っていた人たちが移動したので気が早いなあと思っていると、一緒に見ていた人がそれを見て、きっとああいうのは人生においても変わらない決断をするんじゃないかなというので、今まで人生という大きな事象を扱ったりすることに慣れないというか、名目を変えてしか扱わず、避けてきたような自分は、まさかこの場でそんな言葉がでるとは思いもよらず、いきなり殴られたような一瞬でしたが、きっとそのとおり同じだろうと自分も思い、賛同しました.

幼いころ、花火はただぼんやりと有難いものできれいなものだと捉えていたけれど、最近は散り際の火が消えかけた瞬間や、低い爆発音、意図されたカラフルな光を何も考えずに見ることが好きで、漠然と有難いわけでも綺麗なわけでもなくなり、それは周囲の大人の言うことがすべてだったようなところから抜け出せた気がして、以前より大変生きやすいと感じました.






人の多さによるごたごた感、
でも心を満たす時間は当事者しか、存在しない.

だから、夏はたまらないですねー:)! ひひひひ



今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.