2010年8月1日日曜日

隅田川花火大会2010 7/31

こんばんは.

今日は東京三大花火大会のひとつに数えられる隅田川の花火大会に行ってきました.

隅田川の花火大会には高校1年のときに初めて行き、そのときは都営浅草線を使って浅草駅までぎゅうぎゅうになった電車に乗って、目の前には身長の大きい男性と、対照的な背の低い女性が庇いあうように抱き合ってひそひそと笑いあっていたという大変うらやましい光景を見せつけられながら、人の多さに圧倒され、花火は木の陰に隠れておぼろげにしか見れないという少し心残りな経験でした.

今年はアルバイトをしておらずお金が無いため、一昨年の浴衣を着ることにして電車を1度乗り継いで浅草駅ではなく、ひとつ手前の田原町駅で降りて人の波に身をゆだねながら、途中でコンビニの前に焼き鳥を売っていたので覘いてみると、真ん丸と大きなもも肉が刺さった串が一本100円ととても安かったので、すかさず5本入りのものを買い、確信は持てないけれどそれらしいところにシートを引いて座りました.

目の前を横切るカップルは甘い空気に覆われて、本当は花火なんてどうでもよく、相手のことで頭が一杯そうな人達や、胸元の開いたシフォンのワンピースを着る美人な女性を、意思とは無関係に本能というものらしい、強烈なものにのっとられて、通り過ぎる間じっと見つめる男性や、より花火の綺麗に見える場所を探して必死な人達、ビルに囲まれて一切花火の見れない場所で無言のまま座りつくす人など、色々な時間が人によって存在してそれに自分が全く影響することなく、また自分の時間が平行して流れていく感覚はまるで映画を見ているようでした.

そして花火が始まって見惚れているとき前に座っていた人たちが移動したので気が早いなあと思っていると、一緒に見ていた人がそれを見て、きっとああいうのは人生においても変わらない決断をするんじゃないかなというので、今まで人生という大きな事象を扱ったりすることに慣れないというか、名目を変えてしか扱わず、避けてきたような自分は、まさかこの場でそんな言葉がでるとは思いもよらず、いきなり殴られたような一瞬でしたが、きっとそのとおり同じだろうと自分も思い、賛同しました.

幼いころ、花火はただぼんやりと有難いものできれいなものだと捉えていたけれど、最近は散り際の火が消えかけた瞬間や、低い爆発音、意図されたカラフルな光を何も考えずに見ることが好きで、漠然と有難いわけでも綺麗なわけでもなくなり、それは周囲の大人の言うことがすべてだったようなところから抜け出せた気がして、以前より大変生きやすいと感じました.






人の多さによるごたごた感、
でも心を満たす時間は当事者しか、存在しない.

だから、夏はたまらないですねー:)! ひひひひ



今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.

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