2010年8月12日木曜日

紙粘土

こんばんは.

最近本当は誰にも会いたくないという気持ちと、お金が無くて行きたい所に行けないという状態で、何故かそういう時に色々な人に誘われて、協調性や社交性に欠ける自分を誘ってくれる人はとても貴重で大切にしなくてはいけないと思いつつ、疲れた顔を見せて困らせるのは嫌だなと悩んではお断りの返事をぐずぐずしてしまい、最悪な日々です.

あと少しで誕生日なのでその日に何がしたいかをきちんと考えて、今の気分を断ち切ろうと思い面白いことないかなあと考えたところ、紙粘土で何かつくりたいなと思いました.

紙粘土を使うのはたぶん小学校のこと以来無く、忘れていた感覚を取り戻せる気がして、考えただけでわくわくしました.

しかし、幼稚園の頃、先生達が設けるものづくりの時間の今でも覚えている思い出は、親子で様々な形をした木片を重ねてアーチを作るというもので、動物の形などかわいらしいものでも、かっこよくも面白くもないと思う物をつくらなきゃいけないことと、用意された木片はどう見てももう使えそうにない悲惨さで、そんなものでも子供は喜ぶと思っている大人の思惑に落胆し、周りに同じことを考えていそうな子が一人もいなかったあの時、はじめてはっきり絶望というものを体験して、そのせいでほとんど親が作ったものとなり、それは周囲からずば抜けて意味不明な形をしていて、木と木の間からボンドがだらだらと垂れだして最悪すぎると泣き出したのを覚えています.

当時不機嫌なかわいげのない子供で、今も同じようなもので、しかしそういう風に見えなくない大人のひともたまにいるので、何がいいとかそういうことじゃないと考えることは、やっと自分を受け入れていくという本当の感覚を感じる気がします.


紙粘土を水彩絵の具で水色に染めて、魚を作ったり、カラフルな星を作ったり、じゃあ結果的に何がつくりたいのかというとはっきりせず、ペンたてもつまらないし、オブジェも弟からもらったものがあるので邪魔になるし、NHKで見た写真たてをアレンジしてもいいなと思ったけれど、頼りにしている人に相談すると反応はいまいちで、さっきまでの新鮮な気持ちは損なわれ、どうしようもなくなったので、無理に形にするのはやめて、誰にも左右されなくなるくらいつくりたくなったら、思いっきりつくろうと決めました.

でも、ひそかにうれしかった創作関係のことがひとつあるので紹介したいとおもいます.





じゃじゃーーーーーーーん★☆





私の似顔絵です.

私に意図して秘密にしていたのかはわかりませんが、父親の同級生で絵が好きで勤めていた銀行をお辞めになったという方が、小学校のときの卒業式の日の朝に撮った写真でその似顔絵を描いてくださり、はじめての体験だったのでとてもうれしく、机に飾っています.

じーっとみつめても、具象画らしく描きたかったのか抽象画らしく描きたかったのかよくわからず、微妙なあたりがわたしらしくて気に入っています.

きっと、かなり頑張って描かれたものだろうと思います.



絵を見たらちょっと、元気でたぜよー!(・Θ・)★



・・・それじゃ勉強しよ~




今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました.

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